「ボローニャ紀行」井上ひさし
大阪もボローニャやったんや。
「三十年間の机上の勉強でいまでは恋人よりも慕わしい存在となったボローニャ」へ、2003年12月、井上ひさしさんは、初めて旅立つ。
ここは、ボローニャ・ソース(ミートソース)の発祥の地、
豚肉文化の中心地であり、生ハムはむちゃくちゃにおいしい。
ヨーロッパでもっとも古い大学、ボローニャ大学の所在地でもある。
創立は1088年だが、
それ以前から、学者の住まいへ青年たちが集まって話を聞くと言う形の、
大学のようなものができていた、と言う。
「彼らがてんでに学者のもとへ通学する個人学校が林立するうちに、
それらの青年たちが学生組合をつくって、
そこへ学者を招いて講義させるという形をとって
実学中心の大学が発足した。」
そう、ボローニャへの恋は、「学生組合」「自治組合」がキーワード。
「お上」だけに頼らない、
民の創意・熱意・財力によって、
街の文化を再生する手法を、「ボローニャ方式」と言う。
その精神から育った文化にじかに触れるのが、旅の一番の目的。
ボローニャが世界に誇る映画の保存と修復の複合施設「チネテカ」を、見よ。
その創立者ボアリー二氏が語るところによれば、
彼が、市役所の文化部門の責任者を務めていた1966年、
中国で文化大革命が起きる。
熱烈な共産党員だった彼は、文化大革命を支持する。
これが、党本部の意向に背くことになり、除名され、責任者の地位も追われる。
すっかり、暇になった彼は、
「映画好きの友だちと四人で、古い映画の上映会を始めたんだ。」
無声映画のフィルムを集めてきては、解説付きで上映する。
「古いフィルムだから途中でよく切れる。
そのたびにお客の中から不満の声があがる。
それで、フィルムを修復しなければならなくなった。」
ボアリーニ氏は仲間と組んでフィルム修復のための組合会社をつくる。
組合会社には、特典が多い。
・ 一人立ちするまで税金は要らない
・ 市・県・国の援助がある。
・ 銀行・企業などの財団から資金援助も可能。
フィルム修復の技術が蓄積されると、その噂が広まって、
「二十世紀フォックス社やコロンビア映画社やフランスのカナルと言ったところが、
山のように古いフィルムを持ち込んできた。」
こうして世界中のフィルムをチネテカが独占するところとなった。
同時に潤沢になった利益で、タバコ工場の跡地をそっくり使って、
複合施設チネテカをつくる。
「古い建造物を壊さずに、内部を現在に合わせて使う」、
これも、ボローニャ方式。
世界に冠たるフィムル・ライブラリー、
三つの映画館、
三つの専門図書館、
ボローニャ大学芸術学部の音楽、演劇、映画学科の実習スタジオ、
フィルム修復工場がそろっている。
私の故郷・大阪も、
「お上」に頼らない街づくりが自慢だった。
「ええか、
中之島公会堂も阪大の前身の旧制高校も、
民間人が建てたんやで。」
おやじが得意のセリフやった。
大阪の誇りは、どこへ行ったんやろ?





