「フリータイム」チェルフィッチュ
僕らは自由か。
僕の住んでるマンションの掲示板には、すごくたくさんの貼り紙がしてある。
上階の水遣りの水がたれてくるから気をつけろだの、
ペットを飼うときにはマンション内の「ペットの会」に入れだの、
夜中の駐車場で、車のドアの音がうるさいから気をつけろだの。
いちいち正しい。
けど、結果としてたくさんの「正しさ」であふれかえった、
この掲示板の息苦しさといったら、どうだろう。
そんなこんなで、最近「息苦しいなあ」って思うことがけっこうある。
みんなけっこうそうなんじゃないだろうか。
「自由」に生きたい。とかうっかり思ってしまう。もう35歳なのに。
でも「自由」ってなんだ。
仕事をやめれば、マンションに住むのをやめれば、
自由になれるんだろうか。
ときどき「今の暮らしを全部やめて、山にこもっちゃえば大丈夫」って、
考えることがあるけど、それって「自由」なんだろうか。
チェルフィッチュ『フリータイム』を観た。
話はシンプルだ。
派遣社員として働く女。会社に行く前にいつも早起きして、
駅のそばのファミレスで30分を過ごす。
日記(のようなもの。彼女がノートに書いているのは、
文字ではなく円なのだ)を書く彼女の頭の中や、
ファミレスの店員が思ってること、
同じ時間にファミレスに居あわせた男子二人が何を見て、何を考えたか、なんてことが、
いろんな役者によって、いろんな視点から語られる。
一貫して語られているのは、要するに「自由ってなんだ」ってことだ。
早起きした朝の30分は自由な時間なのか。
30分じゃなくて1時間だったら自由なのか、それとも2時間か。
時間の長さじゃなくて、その長さを自分で決められることが自由なのか。
つまり派遣社員じゃなくて、フリーランスだったら自由なのか。
そう、ほんとうはそれ以上一時間とか? 欲を言えば一時間半とか?
もっと? してれたらなあっていうのはありますけど、
(中略)
でも三十分で、結構だいじょうぶでっていうか、
うん、そういう面はあって、
(中略)
ときどき三十分が、
そう、ときどきでいつもそうなるわけじゃないんですけど
三十分がほとんど、永遠、(ウケて)、
うん、でもそう、永遠!
におおむね等しくなることがあるってことを私は知ってて、
(後略)
終盤、女(の心の中を語っている役者)は語る。
彼女が見つけた「永遠」こそが、普遍的な「自由」なのか。
それともこれは、不自由な状況の中で身につけた「生きる知恵」なのか。
今のところ僕には、「その両方です」としか言いようがない。
なぜなら僕自身が、その2つの間で揺れていると思うからだ。
でももし「不自由な状況」ってものが今あるとして、
それはどんどん大きくなっていて、
僕の身の回りは息苦しくなっていくばっかりだとしたら。
「生きる知恵」だけじゃ足りないときも、くるんじゃないだろうか。
紹介演劇データ
- タイトル:『フリータイム』
- 作・演出:岡田利規劇団:チェルフィッチュ
- 公演日:2008年3月
- 劇場:SUPERDELUXE(六本木)





