『「狂い」のすすめ』ひろ ちさや
狂ってるという判断。
あああ、もう狂いそう!!
と頭を抱えたくなったら、
いっそのこと狂ってしまっても良いかもしれません。
しかし、ここで取り上げる「狂う」は、
発狂するということではありません。
狂う=正しいということを疑えということです。
現代の社会は、本当に正しいのか。
社会の流れに沿っていては、まともな人間になれないのではないか。
それこそ、社会の奴隷になってしまうのではないか。
だったらいっそのこと、社会に対して疑いの目を持ってみても良いのではないだろうか。
そうすることにより、自分らしい生き方ができるようになるかもしれないと、
あえて、「狂う」という言葉を用いて、著者は読者に投げかけます。
それでは、「狂う=本当の人間らしい生き方」とは、
どういうことでしょうか。
例えば、こんな話があります。
「先生、ぼくは引きこもりなんです。どうすればいいでしょうか・・・・。」
仏教講演会が終わったあと、講師控室にいたわたしに、一人の青年が訪ねてきて、質問をしました。
中略
わたしは、しばらくの間を置いて、彼に言いました。
「きみね、せっかく引きこもりになったのだから、もうしばらく引きこもりを続けなさいよ。」
すると彼は、にこっと笑ったのです。
ここで著者は説いています。
引きこもりをしているのは心の病だから仕様がない。
それを今すぐ、引きこもりはいけないから、外に出るようにしなさいと、
言ったところで、きっとその彼には、できないはず。
であれば、そのままで何が悪い、
あなたはあなたらしくそのままでいいじゃないか、ということです。
もちろん、引きこもりを続けるということが「狂う」、というのではなく、
今、そういうことがその彼には必要で、むりやり社会に強制送還することはない。ゆっくりと、焦らず、社会のプレッシャーに押しつぶされることなく、
治していけば良いのだ、ということです。
つまりは、必ずしも正しくはない、現代の社会の常識に、
囚われすぎてはいけないと、伝えているのではないでしょうか。
「狂う」という言葉は、ちょっと大げさかもしれません。
しかし、社会をそういった観点から見ることも、
これから自分らしく生きるヒントになると思うのです。





