「親の家を片づけながら」リディア・フレム
ひとつひとつのモノの魂を抜くような作業。
ひとり暮らしをしていた母が逝き、
ひとり娘の著者に、両親の思い出に満ちた一軒の家が残される。
― その昔、死は皆で経験するものであった。
宗教や慣習がどのようにふるまうべきかを喪に服する者に教え、支えてきた。
そして今、死は私的なものになってしまった。
悲しみは人と分かち合えず、死者の影はすぐに消されてしまう。―
だから、
― 残された者は、喪の悲しみを誰かと分かち合うこともできず、
ひとりで背負い続けることになる。―
そして、母が暮らした家を、著者は、ひとりで片づけることになる。
― "家を空っぽにするという作業"。親の物を片づける作業によって、
自分が過去に抱いている古い幻想と、自分自身とがむき出しにされていく。―
自分と向き合えば、いやでも見えてくる。
― わがままで欲深く、親の宝物をいつもほしがった子供の頃の自分。
恨みがましく要求ばかりして、何かにつかれたように、
満ちているものをわざと空っぽにしようとした思春期の自分。―
― 親の家には、神聖の域に近い何かがある。
触れることは冒涜であり、神聖な何かを汚してしまう気がする。―
なかなか片づけは進まない。
― そこらの置物に触れ、そのうちのひとつを手に取ってはなで回し、
やがて元の場所に戻す。
次に別の物をとっては、
その物がたどるべき運命を定めることができずにまた元に戻す。―
そんなことの繰り返し。
倉庫用の地下室には、
著者が赤ちゃんのときの哺乳瓶や産院の請求書まで残されていた。
両親が、ついに、一言も口にしなかった真情にも触れる。
― 父が寝ていた側にある小さな引き出しには、
古銭や時計、小物入れに紛れて、
政治戦犯登録番号札が入っていた。
父のものだ。
その数分後には、別の場所からナチスの書籍『帝国への道』が出て来た。
これは、ドイツ軍から解放された日に、
家に帰る列車の座席にほっぽってあったのを父が拾ったもので、
内側には父による、
「"偉大なるライヒ"の最後を記念して。
ドイツ・ヴュルツブルグ発ベルギー・ブリュッセル行きの車両のベンチで見つける。
1945年五月一五日。人生で最良の旅だ」との走り書きがあった。
これが私が目にした最初で最後の父の手になる「告白」だった。―
両親は、アウシュヴィッツの生き残りだった。
知ってはいたけれど、両親は彼女に語って聞かせることはなかった。
― 親を失うことで私は、自分をがんじがらめにし、
とてつもなく不安にしていた体の一部を失った。
それでも両親は私の前から去ることで、
その無言の束縛から自由にしてくれたのだ。
両親はもうこの世にはいない。
そのおかげでようやく私は彼らと正面から向き合えるようになったのだ。―
おっちゃんも、親を見送って思うのやけど。
親は、子どもができたときから、親になっていくけれど、
子どもは、親を亡くしてから、子どもになっていくんやなあ。





