『石垣りん詩集』
「石垣りん」さんから、あまり遠くに離れぬように。
詩集は売れないって、言われてきたけれど、
最近は、文庫で出るようになった。
少しは動き出しているのか。
書店で、石垣りんさんの詩集の文庫が目に入ったので、
電車の中でも読めるように買ってみた。
久しぶりに、電車に揺られながらページを開く。
『日記より』という詩は、
― 一九五四年七月二七日
これは歴史の上で何の特筆することもない
多くの人が黙って通り過ぎた
さりげない一日である ―と始まり、
一行開けて
― その日私たちは黄変米配給決定のことを知り
その日結核患者の都庁座り込みを知る ―とある。
ビルマ(現ミャンマー)から輸入した米の1/3が、
黄変米だったことが発覚した。
管理していた農林省(現 厚生労働省)は処分に困り、
黄変米の危険性は科学的に証明されていないという詭弁を弄し、
三%未満の混入米を配給に回すことにした。
政府は、戦後、食糧難時代と変わらぬことを、
豊かになってもやっている。三笠フーズ事件は、
ほんとうは、厚生労働省事件と呼ぶべきだったのだ。
性根は、まったく変わっていなかった。
詩は
― 五六、九五六トン
四八億円の毒米配給計画は
一国の政治で立派に通った。
この国の恥ずべき光栄を
無力だった国民の名において記憶しょう。 ―とつづられる。
さらに、政府の答弁として
― 黄変米はわずか二.五パーセントの混入率にすぎない、
と政府はいう。―
何が悲しくて、素晴らしい石垣りんさんの詩を、
このような「黄変」した紹介にしなければ、ならないのだろう。
わたしには、とても好きな『0』という詩があって、
― 私は0をふくらます。
ゴム風船のように、あたたかい私の息で
この世の中のいっさいの0
はてしない虚無を
両手の中でプウプウとふくらます ―
代表的な詩『表札』は
― 自分の住むところは
自分で表札を出すにかぎる
自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことがない。 ― と続き、最後は
― 精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。 ―
本当に、凛としてすがすがしい詩だ。
若いころ、どうせ自分は碌な生き方はしないだろうが、
石垣りんさんの精神から離れないように
あまりに遠くに行かないように生きようと思った。
石垣りんさんは、
小学生の遠足の時の先生のようだ。





