「サイン・シャネル カール・ラガーフェルドのアトリエ」
針子の本分
パリ・カンボン通り31番地。シャネル本店。モードの王国。
君臨するのはデザイナー、カール・ラガーフェルド。
デニムのパンツに細身のテーラードジャケット、
普通のシャツの2倍はあろうかという高い襟のシャツ。
大きなサングラス、長い白髪は後ろでまとめて。
両手の指にはいくつもの指輪。
その姿はまさに、モードの王様。
でも、彼の王国を支えているのは、
毎朝9時に店にやってきてタイムカードを押し、
ダサい白衣(これがまた、中途半端にひざ丈で、足がけっこう見えるのだ)に着替えて、
アトリエや廊下をうろつき回る、
モードなんて言葉、かけらも感じさせない、
中年のお針子さんたちだった。
「サイン・シャネル」は、パリコレで
シャネルのオートクチュールショーが開催されるまでの
2か月を追ったドキュメンタリー。
その過程は、まさに修羅場の連続。
何か月もかけて準備された会場は、
下見に訪れたカールの一言で変更を余儀なくされる。
苦労して縫い上げた繊細な布地の服は、
ある朝突然変更を指示されて最初から作り直し。
土壇場、ショー直前にようやく完成したウェディングドレスを
いたく気に入ったカールは、その場でデザインを追加する。
そんなぎりぎりの状況の中、いつも僕の目に生き生きと映るのは、
お針子さんたちの姿だった。
針子は、立ち入らない。
彼女たちは、モードのことなんて知らない。
職場でシャネルを身につけたりしない。
カールと、ファッション談義なんてしない。
ただ彼女らは、与えられたデザイン画と真剣に向き合い、
何が書かれているのか、デザイナーの意図は何かを解読しようとし、
それを忠実に表現しようとする。
針子は、こびない。
カールのご機嫌を取ったりしない。
制作途中の服を見せているときは、いたって無口。
ほめられたからって、大げさに喜んだりしない。
カールと、ウェディングドレスを気に入られ、
追加を指示された針子・マルティーヌとの会話は秀逸だ。
「君が美しいものを作るからいけないんだ」
「少し、がんばりすぎたわ」
針子は、めげない。
度重なるやり直し、無茶な要求。
追加、追加の嵐。
ショー直前の数日間は、ほぼ徹夜。
どんな状況に置かれても、針子は泣き言をいわない。軽口はいうけれども。
指示されたことに、文句は言わない。
方針に従い、与えられた仕事を完遂することだけに集中する。
作り直しを指示された針子・ロランスの台詞が、心に残る。
「作ってきたものに愛着はあるけど、決定は正しいと信じなくちゃね」
見ながら、心に浮かんだのは「本分」という言葉。
自分の「本分」を知り「本分」を守る。
それが正しいこと、ショーの成功につながると信じる。
立ち入らない、こびない、めげない。
クリエイションあふれるデザイナーも、
「本分」を知る職人たちの助けなくして、どんな洋服も作れない。
ショーは無事終わった。打ち上げのパーティー。
「針子の本分」が、崩れた。
彼女たちは「ミーハーなおばちゃん」に変わる。
かわるがわる、カールの目の前にやってきては、サインをせがむ。
たぶん明日からは、また一人の針子に戻って、
ダサい白衣で、アトリエで、コーヒーを飲み、
駄菓子を食べながら服を縫い続けるのだろう。
世界最高のメゾンの服を。





