『海も暮れきる』吉村昭
放哉の「海」
種田山頭火と並ぶ自由律の俳人・尾崎放哉(ほうさい)は、
どこにも「居場所」のない人だった。
東京帝国大学を卒業し、
東洋生命保険株式会社に入社。
しかし放哉の居場所は、エリートコースにはなかった。
会社から逃げ、俗世を捨て出家をしても、放哉の居場所はなかった。
最初に入った寺、一燈園では住職と折り合いが悪く、自ら寺を出た。
次に入った常称園では、酒癖の悪さがもとで、寺を追われた。
以前から患っていた肺病も悪化した。
友人であり俳句機関誌「層雲」主宰者でもある、
荻原井泉水を頼って生きるほかはなくなった。
『海も暮れきる』で描かれるのは、
死を覚悟した放哉が、
井泉水の紹介で移り住んだ小豆島で過ごした、
最後の1年間だ。
「小サイ庵デヨイ」
「ソレカラ、スグ、ソバニ海ガアルト、尤ヨイ」
井泉水に手紙でそう乞うた放哉が行き着いたのは、
ある寺のはずれに建っている、粗末な庵だった。
之でもう外に動かないでも死なれる
と詠んで、自分の居場所を見つけたことに安堵する放哉。
海の中に歩いていけば、いつでも死ねる。
自由に死を与えてくれる海が、好きであった。
海を見るたびに
人間は自分を欺くが、海は常に寛容で、
死を願えば自分の肉体を飲み込んでくれる。
(中略)
ひっそりと海で死ぬ。それが自分には最もふさわしい死だ。
放哉にとって「海」こそが本来の居場所で、
その海がすぐそばにあるこの庵は、まさにユートピアだった。
しかしそこでも、放哉はうまくやっていけない。
金がない。働けない。その気もない。だからなりふり構わず無心する。
返さず、足りなくなればまた無心する。
酒癖が悪い。酔っては絡み、罵詈雑言を浴びせかける。
世話になっている寺の住職や恩人にたしなめられても、
何度となく泥酔し、周囲に迷惑をかける。
かつての妻、馨への想いは断ち切れず、
その白い身体を夢想する。
無心する。泥酔する。妄想する。それを繰り返す。
肺病は、末期へとその病状を進行させていく。
体は衰弱し、庵から、床から出られなくなる。
追いつめられるほど、
放哉の句は純粋になる。すごみを増す。
俳人として、ある高みに達する。
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
墓の裏に廻る
手袋片ッポだけ拾った
肉がやせて来る太い骨である
放哉は、死ぬ間際の床の中で思う。
島にきた頃、病状が最悪の状態になった折には
思う存分酒を飲んだ上で海に身を投じ自ら命を断てばよい、
などと考えていたが、それが甘い考えだったことも知った。
居場所を探し、放浪を続け、
追いつめられた男が安住の地として選んだ「海」は、
結局、彼の頭の中にしかなかった。
放哉は眼を開けると、不意に起き上がろうとする気配を見せた。
苦しいのかと思ったシゲは、彼の体の下に手を入れ抱き起こした。
「海が見たい」
放哉の口から、細い声が洩れた。
「なにを言います、こんなに弱っているのに......。
それに、眼も見えんのでしょう」
シゲは、放哉の体の軽さに薄気味悪さを感じた。
放哉は、彼の「海」に入ることが、できたのだろうか。
※一部の句は『尾崎放哉全句集(村上護編/ちくま文庫)』より引用しました。





