『サヨナラ、学校化社会』上野千鶴子
「下位者」の志。
上野千鶴子さんの『サヨナラ、学校化社会』によると、
学校化社会とは、
― 学校的価値が学校空間からあふれ出し、
にじみ出し、それ以外の社会にも浸透していった。
その学校的価値とは、
― 明日のために今日のがまんをするという「未来志向」と「ガンバリズム」、
そして「偏差値一元主義」です。
そのために、人々の生き方は、
― いまを楽しむのではなく、つねに現在を未来のための手段とし、
すべてを偏差値一本で評価することを学習する。
そうして、学校は、
「上位者を上位へ、下位者を下位へ再生産するカラクリ」となり、
勝者を正当化するための手段になった。
けれど、昔の家庭には、
― 学校とは違う価値があった。
「おまえはお父さんの言うことさえ聞いていればいいんや、
学校の教師の言うことなんか聞くな。
家には家の流儀があるんや」と強制する親がいました。
学校とは違う価値、多元的価値というものが、
地域や家庭やさまざまな場所に生きていました。
そうだ、おっちゃんは、突然、昔の出来事を思い出した。
中学受験の時か、高校受験の時か、忘れてしまったけれど、
おっちゃんが、自分の部屋で受験勉強をしていた時のことだ。
狭い家、それに昔の家は、壁は少なくふすまのしきり。
台所で立てる湯気も音も聞こえてくるぐらい。
そんな風も物音も素通しの家で、
居間から大きくけたたましい「アホ笑い」が響いてくる。
父や母、それに三人の姉もそろって、TVでお笑い番組を見ているらしい。
大阪の人間は、話し声が大きい。
笑い声は、さらにけたたましい。
天井を突き破るような勢いになる。
おっちゃんは、たまりかねて居間に行った。
ひとこと、注意してやろう。
受験勉強の邪魔をするな、
何と心得おるか、ぐらいの勢いだった。
家族全員、静粛にするだろう、との自信もあった。
なんせ、おっちゃんは、
40歳過ぎの父が待ちかねた長男やったんや。
映画の寅さんが、印刷所の工員を諭すように言った。
「受験勉強してんねんで。
ちょっと静かにしてえな。」
おっちゃんは、いちばん、穏便な忠告を選んだつもりだった。
笑い声は瞬時に止まった。
家族全員が、おっちゃんを見た。
父も、ゆっくり、顔を向けた。
おっちゃんは、話はついた、反省してくれたら、
それでエエネン、別に謝ってもらおうとも、思ってない。
そんなそぶりで、部屋に戻ろうとすると、
父は、おっちゃんの顔を見て、
「そんなに勉強の邪魔になるねやったら、
受験をやめといてくれるか。」と言った。
おっちゃんは、自分の耳を疑った。
そのとき、上野さんの本はなかったけれど、
「下位者が下位者を再生産する」仕組みを知った。
おっちゃんは、教養のない家庭に生まれた自分を呪った。
けれど、大人になるほど、
「長男の受験勉強よりも、家族のアホ笑い」を
家庭の上位に置いた父は、立派だったとつくづく思う。
下位者にも志はあったのだ。





