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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2009年2月25日

『伝わる・揺さぶる!文章を書く』山田 ズーニー

筆者:おっちゃん思考の伴走者。

ズーニーさんは、いいところに目をつけられた。
この本は、「実用以上、芸術未満」の領域を開拓する、という。

文章は、思考を鍛える。
会話も、思考。
この領域には、コミュニケーション、生きることのすべてが含まれる。

電話に代わって、Mailのやり取りが増えた。
いくら、話口調で書いても、書くことは、つまるところ文章。
電話なら流れていくニュアンスも、じっと留まる。
読み手に、クンクン嗅がれる。
ちょっと「上目線」や、
嫌味な表現は意図せず現れる。そこが怖い。

おっちゃんも、おしゃべりのコミュニケーション下手や。
仕事でも、日常の暮らしでも、
なかなか自分の意見が通らない。
もっと、悔しいのは、その意図まで誤解される。
 
「なんでそこまで、悪くとるねん」と、叫びたくなる。
けれど、ズーニーさんのように、
まず、相手の立場に立って考え直すと、
おっちゃんの方が無茶なことを言っていることが多い、と反省する。
けれど、反省が続かない。
 
ズーニーさん流にいえば「メディア力」という信頼性がないのに、
おれの意見を素直に聞け、と詰め寄る。
それは、せっかく建てた家を更地に戻して、
俺の言う通り建て直せ、というようなもの。
安藤忠雄さんのような権威も権力もない、
ただのおっさんの言うことに従えるわけがない。
 
ズーニーさんは、「課題」をだす。
そして、「問う」。
「問い」を、細かく砕いていく。
読者の日常まで近づける。
お母さんが、離乳期の赤ちゃんに、食事を与えるときのようだ。
あくまでも、自分の力でかめるように導く。
 
こんなテクニックなら、おっちゃんだって、実践していると思っていた。
でも、おっちゃんの「問う」と、
ズーニーさんの「問う」は、残念ながら全然違うことに気づいた。
おっちゃんの「問う」は、問い詰める。すなわち、追い詰めること。
ズーニーさんの「問う」は寄り添うこと。
同じ行為でも、ズーニさんの用語で言うと、「根本思想」が違う。
 
なぜ、ズーニーさんは、こんな「問う」を身につけたのか。
それは、ズーニーさん自身が、
若いころから、何か事にあたるとき、たちどまり、悩み、
繰り返し繰り返し、自分に「問う」て来たのだろう。
 
だから、若い時の自分に問いかけるように、
「問い」を解く方法を話しかける。
当然、目線が読者といっしょになる。
ここが、違う。
 
いいか、よく聞け、
俺が苦労して獲得したノウハウを伝授してやる。
こんな「上目線」ではない。
 
だから、ズーニーさんの本で、問題解決の技術を学びながら、
知らない間に「心」まで広げられている。
やってみよう、という勇気がわき起こる。
ただの技術書、実用書ではない。
 
ズーニーさんご本人のことばを借りて、
この本を要約すると、
「実用以上、芸術未満」の領域を「芸術以上」の志で書かれた本だ。
 
2001年初版、版を重ねて
2009年29刷。
売れることは、ウソをつかない。