「シンフォニー・M」大駱駝艦
死ぬまで、命がけで立ち続ける。
倒れる。何度も倒れる。
音楽は切断される。
無音の中で、立ち上がる。
倒れては立ち、立っては倒れる。
こんな麿赤兒をみたのは、初めてだ。
「シンフォニー・M」は、
大駱駝艦艦長・麿赤兒による舞踏作品。
ほかの舞踏手(大駱駝艦では『鋳態』と呼ぶ)もいるが、
実質は「ソロ作品」と呼ぶにふさわしい。
いつもの麿は、終盤、おもむろに舞台の後ろにあらわれ、
あまり動かず、圧倒的な存在感を示し、
空間を支配する、といった風だった。
少なくとも、僕が過去にみたいくつかの作品では、そうだった。
だが「シンフォニー・M」では、
僕がこれまでにみたどの作品よりも、麿は激しく動いていた。
あがくように、悩むように。
動きながら、なにかを考え、確かめているようにも見えた。
「舞踏とは、命がけで突っ立っている死体」といったのは、
暗黒舞踏の創始者、土方巽だそうだ。
僕は土方を知らない。写真や、うつりの悪い記録映像でみただけだ。
ただ、目の前で倒れ、立ち続ける麿の姿は、
まさに「命がけで突っ立っている死体」そのものだった。
そして同時に、それは僕の姿でもある、と思う。
死ぬまで、命がけで突っ立っている。
それが「生きる」ということなのだし、
「生きる」って、それ以上でも以下でもない。
そんなことを考えた。
なによりも心動かされたのは、
公演が終わったあとの、あいさつ。
踊ることをやめ、あぐらをかいて座っている麿は、
立ち上がって前に出ようとするのだが、腰が立たない。
不安げに左右をみる。
そのとき、両脇の黒づくめの男が麿を支え、起こし、
前に連れ出し、あいさつを促す。
彼の弟子たちだ。
麿は少しホッとしたように、男たちに促されるまま、
不器用に頭を下げる。
もちろん芝居だ。麿はちゃんと動ける。
でも、感動した。
「命がけで突っ立って」いくことが、しっかりと、
次の世代に受け継がれている。
そう思った。
紹介演劇データ
- タイトル:『シンフォニー・M』
- 団体:大駱駝艦
- 振鋳:麿赤兒
- 公演日:2009年2月
- 劇場:世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)





