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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2009年3月18日

『軋む社会―教育・仕事・若者の現在』本田 由紀

筆者:おっちゃん「自己責任」に変わった「身分制度」

身分制度があった時代は、
人間は出生とともに一生の道筋が決まっていた。
しかし、身分制度が去り、
近代社会において導入されたのがメリトクラシ―、
すなわち業績主義による、人の選別。

     「これは、個々人が過去に何をなしてきたか、これから何を成
      しうるかに応じて、社会的な地位を配分する仕組み」
その機会の平等を保証してきたのが、学校教育であった。

さらに、ポスト近代社会に至って、
メリトクラシ―に加えて、
ハイパーメリトクラシ―が要求されている、と、著者は主張する。
     「ハイパーメリトクラシ―とは、非認知的で非標準的な、
      感情操作能力とでも呼ぶべきもの」で、
     「認知的な能力よりも、意欲や対人関係能力、創造性など、
      人格や感情の深部、人間全体におよぶ能力」
経団連の「二〇〇七年度・新卒者採用に関するアンケート調査」の結果にも、
     「企業が採用選考時に重視する要素は、過去五年間連続して
      『コミュニケーション能力』が第一位になっている。」ことにも
      表れている。

この前、東京郊外の市役所に勤める友人が、嘆いていた。
「うちの役所でも、東大卒がごろごろ入ってくる。
 でも、学歴だけじゃダメなんだ。
 渉外とか、交渉とか、できる奴が少ない。」
だから、
「秘書室とか、建築許可とかにふさわしい部署の人間がいない。
 つければ、鬱になってしまう。」

ハイパーメリトクラシーは、学校でいい成績をとれば、身に付くものではない。
     「幼少期からの家庭内・家庭外での生育経験を通じ、
      長い時間をかけて形成される」
学校教育による「機会の平等」は理念倒れになり、
「格差」が固定化し、階層化に向かうという。
身分制度の時代は、
社会の約束事で決められた階層だった。
けれど、ポスト近代社会は、「自己責任」による階層化になる。

自分で選んだ未来だから、文句を言うな、と今の社会は
若者に詰め寄っているのか。
それは、「身から出た錆び」だというのか。

麻雀で負け続けても、それが実力だから、仕方がない、
諦めろというか。
しかし、負け続けて「かけ麻雀」をやる人間はいない。
麻雀をやるなら、たまには勝てるようにルールを変えろ、と叫ぶか、
麻雀をやらなくなるだろう。

みんなが、麻雀をやる意欲を失う前に、
ルールを考えた方がいいのではないか。
会社の若いスタッフの顔を見ながら考え込んでしまった。