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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2009年6月26日

『1Q84』 村上 春樹

筆者:いぬ新刊、雑感。

話題の作家の、話題の書。品薄も続いているという。

まだ読んでいない人も多いらしいので、
あらすじとか内容に踏み込みすぎるのもよくないと思う。
第一、あらすじも内容も、理解しきれていない。
でも、この時点で何かメモ的に書いておくことも、
少なくとも自分にとっては重要と思い、
生煮えのまま、箇条書きで書いておきます。

○「暴力の前景化」
 『アンダーグラウンド』あたりから村上春樹は、
 暴力を強くイメージさせてきた。
 『1Q84』では、さらに直接的に暴力が表現される。
 このブログでも何回か暴力については考え、書いてきたけれど、
 今みんな(?)が暴力についてよく考え、語っているとすれば、
 それはつまり「コミュニケーション」について考え、語っている、
 ということなのだと思う。
 で、村上春樹の中で暴力への興味が強くなっているのだとすれば、
 やっぱりそれはベタに考えて「コミュニケーション」への危機感、
 みたいなものが強くなっているのだろうと思う。
 国際情勢への視線も含めて。

○「セックス→身体→身近な他者」
 大事な場面でセックスあるいは性的な出来事がよく起きる。
 たいてい主人公はその状況に巻き込まれて、
 自分の意志とは関係なく、行為に及ぶ。
 で、そのことによって(なぜか)彼ら彼女らの状況や心境が大きく変わったりする。
 ここで強調されているのはおそらく、
 「自分とのコミュニケーション」の断絶、あるいは難しさではないか。
 自分の身体は、自分にとっていちばん身近な「他者」だ、ともいえる。
 わかるようで、よくわからない。
 コントロールできているようで、全然できていない。
 セックスは「他者としての、自分の身体」を一番よく意識させる場面なんだろう。
 まあ早い話が、性欲はままならん、ということなのですけれども。

○「社会への目線」
 これはよくいわれていることだけれども、
 物語中に登場するいくつかの組織・団体は、
 実在している組織・団体を、かなり強く想起させる。
 でも気をつけなければいけないのは、
 「社会にもの申す」ことは目的ではない、ということだ。
 すぐ下で書いてもいるが、
 僕たちのいる社会=現在の日本を意識させたい、という目的はあっても、
 社会に対する批評や意見は、表現されていないと思う。

で、全体の読後感としては、
これは結局は、人の頭の中の話、つまり「想像力」の話なんだろう、ということだ。
まあ村上春樹はいつもそうだ、といえばそうなのかもしれないけど。
でもたとえば、
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』なんかと決定的に違うのは、
『世界の終り~』の世界が、すべて一人の人の脳の中で完結しているのに対して、
『1Q84』は、その脳の周りにある「社会」、あるいは「世界」にまで、
取り扱う領域を広げているようにみえることだ。
そうはいっても作者の興味は、社会そのものではなく人の頭の中にある。
つまり「社会の中にポンと置かれた、私の脳」みたいなことを想定したとき、
その脳の中ではどんなことが起こっているのか、を描きたかったのではないか。

おもしろいのは、
「世界が、脳の中に収斂していく」というベクトルだけではなく、
「脳の中が、世界に拡散していく」というベクトルも、
同時に描かれていることだ。
そんなことを書いていたら、突然ジョン・レノンが頭に浮かんだ。
「イマジン」か? 「想像力が世界を変える」ってことなのか?

噂されているように続編があるのだとしたら、
僕としては「想像力がいかに世界を変えうるのか」、
という視点で読んでみたいと思っている。

今回は抽象的な話でスミマセン。
もうちょっとまとまったら、あらためて描くことがあるかも知れません。