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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2009年10月19日

「G.は行く」 大駱駝艦

筆者:いぬフェリーニよろしく。

女は世界。全ての始まり。
なんてことはよく言われることだが、大駱駝艦「G.は行く」を観た後、
そんな言葉が、すとんと腑に落ちた。

前作「シンフォニー・M」では、男性舞踏手だけで舞台を構成した。
結果、作り手である麿赤兒が自分で自分を掘り下げていくような、
とても内省的で、ストイックな作品になった。
「G.は行く」は、女性舞踏手たちを中心に作られた舞台だ。
女たちという「異物」の存在によって、
掛け合いにあふれ、おかしみのある作品になった。

「G.」は「爺」でも「God」でも「Godot」でもいい、
と麿は語っているようだが、
僕は普通に「麿赤兒」として観た。
というか、麿自身がそもそも「爺」で「God」で「Godot」なのだ。

女たちは、時には母として、時には娼婦として、
時には嫁入りする娘たちを思わせる花嫁衣装で、
原初の時代から現代まで、時空を飛び越えながら、
麿をいじり、麿と戯れる。
女をめぐる、麿の夢想、空想、理想が次々と顔を出す。

女を媒介に、世界とその歴史を描けば、
結局、その中でもがく自分自身の姿が映し出される。
この場合、女は「鏡」だ。
昔観たフェリーニの「8 1/2」が思い出される。
あの映画も、女性を鏡にして、自分自身を振り返る男の物語だ。

ただ、人生に疲れ、夢想に逃げ込んでしまったかに見える、
「8 1/2」の結末と、「G.は行く」とは、明らかに違っていた。
これからも麿は、決然と「女の海」を渡っていく。
最後、巨大な恐竜の頭骨を船に見立て、
舞台の上を航行しながら、
その舳先に直立し、前方を指さす麿の姿に、力強さを見た。

まだまだ、これからだ。

 

紹介演劇データ

  • タイトル:「G.は行く」
  • 団体:大駱駝艦
  • 演出・振鋳:麿赤兒
  • 公演日:2009年10月
  • 劇場:シアタートラム(三軒茶屋)