『社会をつくる自由 - 反コミュニティのデモクラシー』 竹井 隆人
分譲マンション入居者よ、直接制デモクラシーを実践せよ。
著者の命題は、「社会(構造)に対して主体性のある自己実現」。
それを実現するには、「社会をつくる自由」であると主張する。
「コミュニティ」や「仲良し」の勧めは、
集団への個人の隷属を進めるだけと論難する。
まことに、威勢のいい熱弁が詰まった本だ。
「自由」とは、なにか、から論を進める。
「自由」には、「消極的自由」と「積極的自由」がある。
社会(共同体)からの「干渉の不在」によって得られるものである。
たとえば、奴隷制の廃止による奴隷解放や、
為政者による宗教的弾圧を解除することによる宗教の自由など
一方、「積極的自由」とは、
外圧的制約によらず、何ごとも自己の内面的な決定によるという、
自己決定による「自由」のことをいう。
ヘーゲルいうところ、この自由とは、
他者と自己とは異なること、
あるいは自己が他者と異なる存在だということに気づくときに、初めて「自由」が見出せる。
言いかえれば、「他者と異なる考えを抱く自由」であり、
この「自由」は他者との関係をどのように築いていくかの「自由」であり、
それが「社会をつくる自由」である
として、
それは、人びとが社会に容れられようとするのではなく、
自らが社会をつくって行こうとする精神、
それは他者や社会に対して自らが「責任」を負う「社会をつくる自由」に裏打ちされる。
その「社会をつくる自由」は、「代議制デモクラシー」だけでは成立しない。
「直接制デモクラシー」を取り入れなければならない。
その実践の舞台として、「集合住宅・分譲マンション」を提案する。
丸山眞夫は、代議制デモクラシーの問題として、
「参加」が選挙(投票)でしか果たされないことのほかに、
人びとがより身近な問題を議論する政治的舞台が存在しないことであった。
「集合住宅」は、一種「私的政府」である。
直接制デモクラシーを原則とする。
集団的合意は、全住民の出席が求められる住民総会で得られる。
けれど、現在でも、住民は、積極的に住民総会に参加するわけではない。
できたら、誰か、やってもらいたい、と思うのが実情だ。
しかし、著者は、「セキュリティ」への関心が、参加を呼び覚ます可能性を説く。
「セキュリティ」は、国家・行政だけに任せられるものではない。
タダだった「安心・安全」を自分たちで守る時代になった。
だから、アメリカの「ゲーテッド・コミュニティ」のように、
治安問題から、直接制デモクラシーに目覚めるのではないか、と著者は力説する。
おもしろい見方だが、そうかな?とも思う。
それなら、もっともっと治安が乱れ、凶悪事件が頻発しなければ、
集合住宅の住民は、目覚めないやないか。
うちの近所で、不法建築として分譲マンションを訴え、
3年にわたって裁判を起こしていたが、
住民は、裁判の勝利を信じているのか、まったく無関心だったと聞いた。
「消極的自由」を最大限獲得した後は、
自ら「責任」を負えぬことなど「自由」であるはずがない。
自らの「責任」を自覚できることが「自由」なのであり、
そこに「正義」はあるのだ。
なんて、著者の思いは、どこ吹く風と受け流すのではないやろか。
金のある人は、その討議すらお金で解決し、
金のない人は、時間もないからできまへんわ、と言いながら。
じゃあ、「コミュニティ」の復活にかけるのか、と言われても、
返す言葉がないし、ホンマ、みんな立ち往生してんねんやろな。





