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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2010年2月17日

『大いなる看取り ‐ 山谷のホスピスで生きる人びと』 中村 智志

筆者:おっちゃんホスピスは、生きるための場所。

映画『おとうと』の撮影で、山田監督が強く影響を受けたという
山谷のホスピス『きぼうのいえ』は、2002年に誕生した。

     きぼうのいえは、厳密には、国が定めた「ホスピス(緩和ケア病棟)」ではない。
     緩和ケア病棟は主として末期がんとHIV患者を対象にしており、
     患者あたりの看護師の数や療養体制などに基準がある。
     社会福祉法上は「宿泊所」に過ぎない。
だから病気を限定せず、行き場のない、余命宣告された人を受け入れることができる。
ただ、「入居者は全員、生活保護を受けている。」

生活保護を受け、看取ってくれる家族もいない人たち。
それは、きっと特別な人、
よほど不運な星のもとに生まれ、生きてきた人と思っていた。
けれど、本を読むと、それは、わたしであり、私の家族でもあり、
仕事の同僚であってもおかしくないことが分かる。

人生は長い。
快走して終えることはない。
人は、どこかで立ち止まる。
道に迷うこともある。

その時、行き先を変えて、
山谷のホスピスづくりに人生をかける人もいれば、
そのホスピスの世話になる人もある。
つくった人も、
やっかいになる人も、特別な人ではない。

設立者、山本は、難病を患ったこども達の親が、
看病にために上京してきた時に一泊千円で泊まれる「寮」、
すなわち、ファミリーハウスの運動にかかわった。
けれど、人間関係に失望し、
「行き場のない人たちのホスピス」づくりに行きついた。
妻も、長い不倫関係に破れたあと、
山本と知り合い、助けることになった。

ケアする側も、
女手ひとつで、蕎麦屋を営み、息子を育てた後、
結婚した息子夫婦との行き違いから、すべてを捨てて東京に出てきた人もいる。

世話になる人には、
第二次世界大戦で、シベリアに抑留され、
やっと昭和三十三年に帰国を果たし、
鳶職などで職をつなぎながら、ひとり身で生きてきた人もいる。

高校を卒業して上京して有名電機メーカーの工場で働いたが、
三年で転職し、さまざまな仕事を経験したうえで、
ホームレスになった人もいる。

不倫の末に駆け落ちしてむつまじく暮らしてきたが、
不治の病のために、男性と離れ駆けこんだ人もいる。
やくざの親分だった人もいる。
さまざまな人生の末に、「きぼうのいえ」にたどり着いた。

設立者・山本は言う。
     「きぼうのいえは、マザーテレサの『死を待つ人の家』とは違います。
     生きるための場所なんです。」
この本で看取りの場面を読んでいると、確かに実感できる。
みんな心を開き、新しい人生に旅立つような死だった。