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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2010年3月17日

『フージーズ』 ウォーレン ・ セント ・ ジョン

筆者:おっちゃんサッカーが、難民の最後の救いだった。

フージーズとは、難民のこと。
副題に「難民の少年サッカーチームと小さな町の物語」とあるように、
これは、アメリカの南部アトランタ、
その中の小さな町に、いまもあるサッカーチームの物語。

人口7,400人の小さな町、クラークストンには、
20カ国に及ぶ国から、毎日のように難民が押し寄せてくる。
コンゴ、リベリア、スーダンなどのアフリカ、
ヨーロッパからも、ボスニア、コソボなど、
内戦の犠牲者が、いくつかの難民キャンプを経たのち、
「幸運」にも、平和な国アメリカに移住を許される。
この町も、少年サッカーチームも、内戦に苦しむ世界、
それを受け入れる難民大国・アメリカの縮図と言える。

難民は、古く狭く汚い団地に収容される。
働きに出ようとしても、英語もできない親に、実入りのいい仕事はない。
やっと見つかっても、地元の人は敬遠する深夜の低賃金重労働。
貧しく希望を閉ざされた人々の団地では、
麻薬、酒におぼれ、悪に染まる少年が後を絶たない。

そんな難民たちの唯一とも言える共通の言語は、サッカーだった。
ヨルダンの上流階級出身の女性・ルーマが、
こどもたちのサッカーチームをつくり、少年たちに呼び掛ける。
しかし、不快感を募らせる地元民の想いを反映して、行政も逃げ腰。
練習グランドの確保も、ままならない。

集まった少年たちは、難民キャンプ暮らしが長く、まともに教育を受けていない。
言語だけでなく、規律・ルールの概念も乏しい。
ルーマは、立ち尽くすような想いを重ねる。

たとえば、団地の住む少年の家が火事にあい、
兄は逃げ伸びるが、弟はベッド代わりのマットレスの下から黒焦げの遺体で見つかる。
その事情は、こう記される。
     十四年にわたる内戦のあいだ、リベリアの子供たちは、
     戦闘がはじまったらベッドの下にもぐって
     弾丸や砲弾の破片から身を守るように教えらていたそうだ。
     アメリカの子供にとって"ベッドの下"は普通、幽霊や怪物の潜む怖い場所だが、
     紛争地域にいた子供にとっては、どこよりも安全な場所なのだ。
内戦が、少年たちの価値観や習慣を育てた。

ルーマは、プレー中、突然意識が飛んでしまうリベリア出身の選手にいらだった。
すると、同じリベリア人選手が、
     コーチは何も分かっていない、と言った。
     その少年は兵士に強いられて親友を撃ち殺したことがあるというのだ。
目の前で、父親が殺された子供もいる。
いや、父、母、兄弟は、いまも、母国の監獄で虐待にあい、
再会の目途も立たず、安否の確認すらできない子もいる。
傷は癒えるどころではなく、さらに深く広がっている。

それでも、サッカーを通じて、
少しずつ立ち直り、前を向き歩き出す子がいる。
わずか、1時間でも、癒される時間をもつ子がいる。

とても労にふさわしい成果とは、言えない。
達成感と言うには、はかなすぎる。
それでも、動くしかない。
このもどかしさが、世界を示す。人を照らす。

島国日本ではわからない、
サッカーと世界の広さ・深さにたじろぐように読み終えた。