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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2010年3月31日

『サブカル・ニッポンの新自由主義』 鈴木 謙介

筆者:おっちゃんひとつ屋根の下の敵。

知らなかった。
団塊世代のわたしは、若者の敵だったのだ。
しかも、小さい会社でも経営しているとなれば、二重の敵だったのだ。

若者とは、「一九七二年から八一年生まれの世代」、
すなわち「ロストジェネレーション」のこと。
     ロストジェネレーション問題は、社会の貧困の問題ではなく、
     端的に世代間対立へと回収される。
     なぜなら、彼らこそ、「守られた世代」の代表だとみなされているからだ。
不況期に社会に出ざるを得なかったロストジェネレーション二千万人は、
団塊の世代は、「食い逃げ世代」と敵視するという。
日本の高度経済成長期においしい思いをし、「年金」でも逃げ伸びる。
     日本の福祉に対する直接的な公的支出は低い水準にとどまり続けていたのである。
     例えば、一九八〇年時点での社会保障費用のGDPに占める割合はわずか一〇パーセント。
     アメリカより低い、先進国最低の水準だった。
豊かな時、日本に目ぼしい資産を築かず、
しかも、昔からの日本社会のセーフティーネット、
家族、学校、会社という「場」を壊して。

われわれも、社会に出た時、会社は、
「仕事を何もしない」ただ食いのおっさんばかりに見えた。
宴会の時、部長は、「いつも、本日は無礼講で」と言った。
わたしは、「何が、無礼講や。仕事を終って自分の時間を、
自分の金で飲むのに、なんで、お前の許しをもらわなアカンねん」と
腹の中で悪態をついた。

「年功序列」や「終身雇用」は、クソくらえ、
「実力主義でいいやん」と息巻いた。
若かった当時は、
「自分は、実力主義で生き残れる人間だ」と思っていた。

けれど、団塊の世代が、若いうちは、「年功序列」は崩れなかった。
われわれが、その良さを認めたくなる年齢に差し掛かって、構造は変わり出した。
いまから、考えれば、あたりまえや。
戦後、若者の少ない時は、「終身雇用」も問題なかった。
ほんとうに問題なのは、団塊世代をそのように遇することだった。

団塊世代が、50歳代に差し掛かる時、日本の人事制度は崩れ出した。
賢い人は、計画を立てて、不況のチャンスを待っていたのだ。
首切りを「リストラ」と言い、株価は上がる時がきた。
     既得権を批判して体制を打倒した者も、
     後からやってきた別の人々に「お前たちこそ既得権」と批判され、
     打倒すべき対象に祭り上げられるというサイクルに、私たちを巻き込んでいく。
     その帰結は、より一層の機会の平等の追求であると同時に、
     より一層の「流動化」なのである。
正規社員の働き方はできなくなっているのに、
「安定した職業感」だけは強まって、
職業が安定しないのに、「結婚なんかできない」という常識は薄まらないで、
いまの若者は、二進も三進も行かないらしい。
     (新自由主義は)それは格差を拡大するから問題なのでも、
     結果の不平等を容認するから問題なのでもない。
     もっとごくごく基本的なところで「これ以外の生き方はあり得ない」と
     私たちに宿命的に思いこませてしまうことが問題なのである。

ボクら団塊世代は、何もしてへん、言うただけやん。
けれど、追い詰められたら、仮想敵を捜すのや。
なんか、北朝鮮に睨まれる日本みたいやなぁ。