『社長 ・ 溝畑宏の天国と地獄』 木村 元彦
批判より行動を!
大分トリニ―タを、社長としてJ1に導いた溝畑宏。
2008年にナビスコカップで優勝し、公言通り日本一に輝いた。
その翌年、2009年に社長を解任される。
すると、飛び移るように観光庁長官に抜擢される。
シーソーのように天国と地獄を味わい、
経営に行き詰った大分を逃げ出したとも、追い出されたとも、噂は尽きない。
どちらが事実なのか、
どちらも真実なのか。
大分トリニティは、94年4月8日に大分FCとして産声を上げた。
W杯招致のために作られた、極めて人為的なクラブであった。
だから、金集め、選手集め、すべてが一からの作業になった。
W杯招致の声を上げたのは、大分県、
すなわち、ときの知事・平松だが、
県が、チーム運営に全面的にバックアップしたわけではない。
地元経済界も、冷ややかに距離をとった。
県のサッカー協会とも一線を置かれた。
そして、マスコミは無理解で無関心。
結局、大分県庁に出向していた高級官僚、
溝畑の奮闘に頼らざるを得ないチームが出来上がった。
裸一貫でJチームを起こすような溝畑の苦闘が始まった。
数々の苦労の中で、何はなくとも大切な運営資金集めに奔走した。
地元企業・朝日ソーラを口説き落とし、
メインスポンサーとしての金を引き出した。
しかし、頼みの朝日ソーラは、1997年当時通産省の行政指導を受け、業績が暗転する。
スポンサーを急遽下りざるを得なくなる。
朝日ソーラのほかに、地元に頼みとする企業はなく、
つてを頼って県外に求める。
リフォーム業界の雄、相模原に本社を置くペイントハウスを口説き落とす。
しかし、2004年、ペイントハウスの経営が行き詰まって、
胸のスポンサーを降りる。
年間5億円のスポンサー料が消えた。
それでも溝畑はめげずに
京都に本社を置くマルハンを捕まえる。
2005年から胸スポンサーとなった。
Jリーグは、パチンコホール業界に、公式スポンサーを認めていなかったが、
特例として胸スポンサーを認めた。
しかし、トリニ―タやサポーター35万人の著名嘆願も実らず、
2006年から胸に表示できないこととなった。
なんのための、スポンサーか。
ついに、2008年7月、スポンサーを降りる。
お金を惜しんだからではない。
マルハンのオーナーは、日本に帰化した韓国人。
常に差別と闘ってきた。
パチンコホールを企業として認めないこと、その差別が許せなかった。
溝畑は、苦境のたびに、
「逆境いらっしゃい」と豪語して、支援者を探し、
なんとか、トリニ―タの命をつないできた。
しかし、その命運もつきた。
サポーターにも反旗を翻され、
新聞社の無神経な記事に足をすくわれた。
溝畑は多くの間違いもあっただろうが、
大分トリニ―タを育てた。
今、溝畑を批判する人は、何を批判するのか。
もっとやり方はあった、広報もまずかった、出しゃばりすぎた・・・
言い出せばきりがないほど欠点をさらけ出した男だったかもしれない。
けれど、代わりに誰ができたのか、
誰がしょうとしたのか。
あらゆる批判は、ここを出発点にしなければ、フェアじゃない、と
本を読み終えてしみじみ感じた。





