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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2010年7月14日

『幻のサッカー王国』 宇都宮 徹壱

筆者:おっちゃん卒業旅行。

著者・宇都宮さんは、31歳のとき、会社を辞めて旅にでる。
自分で背中を押すように、日本を離れる。
旅から帰ってきても、二度と同じ場所には戻れなくさせる旅。

     97年2月、私はそれまで勤めていた会社を辞め、
     バックパックにカメラ器材とありったけのフィルムを詰め込んで
     飛行機に飛び乗った。
     目的地は、いまだに「欧州の火薬庫」という枕詞が健在のバルカン半島。
     そして「ずっと気になっていた場所」ユーゴスラビアである。
著書のバルカン半島の旅は、スロヴェニアから始まる。
そして、クロアチア、ボスニアとバスを乗り継ぐ。
ヨーロッパの競合国に有力選手を奪われ、
かなり士気の下がったサッカーのリーグ戦と、内戦の傷跡に出会う。

ボスニアの傷の深さに、宇都宮さんはたじろぐ。
けれど、哀しい風景は、どうして、こんなに美しく文章で始まるのだろう。
     サラエヴォの週末は、花屋がとても賑わう。
     メインストレートでは、花束を抱えたムスリムの家族連れをよく目にする。
     彼らは、それを戦火で失った家族や恋人、友人に手向けていた。
わたしも、3年前にサラエヴォに旅したが、
サッカー練習場は、墓場となったままだった。
     死者はサラエヴォの墓地からあふれだし、空き地や公園までもが
     彼らの安息の地となる。それらの墓標はすべて92年以降に建てられたものだ。
     質素な墓が多いのは、どこからともなく襲ってくる銃撃に怯えながら、
     急いで埋葬せざるを得なかったためだろう。
     まるでそのことを死者に詫びるかのように、
     真新しい花束があちこちの墓標に添えてあった。
ボスニアは3つの民族に分裂し、
サッカーリーグも、民族ごと3つのリーグ、
「ムスリム・パート」「クロアチア・パート」「セルビア・パート」に分かれた。
そして、FIFAに加盟できたのは、ムスリム系の団体だけだった。

サラエヴォから、一番の目的地・セルビアへは空路もバス便もない。
いったんセルビア人共和国のパレに出るしかない。
パレなら、セルビアのベオグラードまでのバス便がある。

しかし、パレはセルビア人共和国の本拠地。
国連旧ユーゴスラヴィア戦争犯罪国際法廷で起訴されながら、
依然、カラジッチが権勢を振るう地だ。
サラエヴォのタクシー運転手は、恐れをなして行ってくれない。

しかし、苦難の末に、ベオグラードに入る。
そこで待っていたのは、疲弊したサッカーリーグと、
学生の万単位の動員をかけたデモ隊だった。
     昨年11月、ユーゴスラヴィアの地方選挙で野党が圧勝したにもかかわらず、
     ミロシェヴィッチ政権はこれを黙殺、無効とした。
     同時期、当局の学生への暴力事件が発覚。一気に学生たちの怒りが爆発した。
     運動は昨年から今日まで一日も途絶えることなく続き、今日で110日目を迎えた。
著者も、デモ隊に毎日参加し、機知富んだリーダーや「誇り高い男」に出会う。
「誇り高い男」は、学生のデモにあって、数少ない大人だった。
怪僧ラスプーティンのような風貌、
眼光鋭く、片足で松葉杖を突いている。
胸には勲章のようにたくさんのバッジをつけている。
カメラに収めたかった。
しかし、威圧されてシャッターを押せなかった。

著者がベオグラードの最後の日、
「誇り高い男」から肩を叩かれる。
     「誇り高い男」は胸につけていたたくさんのバッジの中からひとつ外すと、
     おもむろにわたしに差し出した。
     相変わらず厳しい表情だったが、その瞳にはもはや敵意はなかった。
著者は、それを「同志」と認めてくれたらしいサインと受け止めた。
そして、初めてシャッターを切った。

言葉が通じないから、真の意味は分からない。
著者の強引で勝手な解釈に過ぎない。
しかし、著者は、その「身勝手」を得るために旅に出たのだ。

そんな清清しい青春のエネルギーに満ちた、旅立ちの記だ。