『ウイスキー 起源への旅』 三鍋 昌春
「命の水」は、ウイスキーで「永遠の命」になった。
出会いは、運命である。
自分の思いを越えたところにある、とも言えるが、
その運命は、自分が呼び込んだものとも言える。
なぜなら、自分が深く関心を持たなければ、
通りすがりの人のように過去にもならず消えていくだけの出会いだったのだから。
著者は、ウイスキーと三度、運命的な出会いをする。
一度目は、著者は、大学4年のとき。
たまたま噛みしめるように口の中でころがしてみた。
その瞬間、今まで感じたことがなかった甘味を感じたのである。
甘味をたどっていくと次にでてきたのはアーモンドチョコのような味わい、
それを感じるまもなくパッションフルーツのような、そして生クリームのような味わい。
次に、香ばしい麦のような香りや味わいが湧き出してきた。
著者は、初めて『アクワイアード・テイスト(Acquired taste)』を経験した。
「おいしいと感じるまでに経験が必要な味わいのこと」だ。
経験の蓄積がある程度まで達しないとおいしさを感じない、
言ってみれば「大人の味」である。
それが、一九八〇年、サントリーに入社につながる。
ウイスキー蒸留所に配属され、
一九八八年、運良く会社の技術アタッシェ制度に選ばれて、
翌八九年一〇月、ついに私は英国スコットランド、
エディンバラの地を踏んだのだった。
そこで、週末は、地元の人が言うところの「パブ クローリング(Pub Crawling)」、
すなわち、パブ巡りを楽しむ。
そんなパブ巡りのある日、
仲間と別れて入った一軒のパブで、隣に座った老人に話しかけられる。
「ところで、君はウイスキーの語源が
『ウシュク・ペーハー(ゲ―ル語、ウオーター・オブ・ライフ、
生命の水)』ということを知っているだろう。
その『ウシュク・ペーハー』は、実はケルトの酒なのだ」
これが、運命の出会い二度目だ。
「アングロ・サクソンやヴァイキングが来る前から
この島に住んでいたのがケルト人だ。
そのケルト人がウイスキーの原型を生み出したんだ」
ウイスキーをつくったのは、ケルト人。
スコットランドはウイスキーの故郷はではない、と老人は言い切った。
「ウイスキーづくりは、外からこのスコットランドに伝わってきたのだ。」
これは、著者が知る定説と違う。
蒸留法は、キリスト教と共にエジプトからアイルランドに伝わって、
ビールからウイスキーが生まれた。ウイスキーの誕生は
アイルランドのキリスト教化と一致している。- これは私が多くの本で目にした説である。
著者は、ウイスキーづくりだけでなく、
ウイスキー誕生の謎解きに、のめり込むことになる。
ミイラの保存に使われた精油のうちのいくつかは
蒸留によって得られる高濃度のアルコールによってしか作り得ない。
しかし、古代エジプトの歴史にはワインはあまり取り上げられない。
ならば、
ビール王国古代エジプトのどこかに
ビールを蒸留した酒であるウイスキーの痕跡がちりばめられているのではないか
という想像が私をかり立てた。
そして、三度目の出会いに、著者は導かれることになる。
エジプト、ナイル川の中流ルクソールの町で。
カイロから六〇〇キロ南に下ったルクソール。
イスラム原理主義が強い地域で、キリスト教会を見つける。
正しくは、その宗派の一つコプト教会。
教会に入った。ひんやりした堂内でろうそくが点されている。
外では耳をつんざく大音量で流れているコーランの説教も
微かに聞こえるだけの静寂な空間が広がっていた。
その中の「淡い光に浮かび上がったもの」に驚愕する。
ろうそくの淡い光に浮かび上がる十字架の姿にケルトを見たからだ。
三方に伸びた梁の先が鉛管で結ばれている。ケルト十字架によく似ている。
いや、そのものではないか。
キリスト教会、コプト教会、そして、ケルト教会とつながり、
神にささげられる「命の水」こそ、ウイスキーの起源、と著者は推理する。
では、証明のための長い旅の結末は?
ぜひ、歴史推理ドラマとして、ご自分でお楽しみいただきたい。





