『シズコさん』 佐野 洋子
「ワタシ ハ ダレデスカ」
『シズコさん』は、佐野洋子さんのお母さん。
佐野さんは、しばらくいっしょに暮らしたあと、
痴呆症になったシズコさんを、高級老人ホームに入れた。
佐野さんは言う。
私は母を金で捨てたとはっきり認識した。
愛の代わりを金で払ったのだ。
でも、生前、ホームから帰る時、
私はいつも落ち込んだ。姥捨て山を見学に行ったような気分になった。
なぜ、佐野さんはシズコさんを捨てたのか。
それは、ずっと、お母さんが嫌いだったから(あるいは、そう思っていたから)。
しかも、その嫌いな理由は。
私は母を母としてではなく、人として嫌いだった。
救われないね、わたしも、そうだった。
母が嫌いだった。人間として嫌いだった。
母が嫌いなんて、人間として最大の不幸だと思っていた。
誰にも言えないことだと思っていた。
だから、わたしほどの「嘘つき」はいない、とも。
佐野さんは、なぜ、お母さんが嫌いだったのか。
四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、
チッと舌打ちしてわたしの手をふりはらった。
わたしは、その時、二度と手をつながないと決意した。
その時から私と母さんのきつい関係が始まった。
さらに、お母さんは、見栄っ張りの嘘つきだった。
学歴を詐称した。私立の女学校を卒業したのに、府立第二だといった。
住所も、牛込柳町なのに、いつしか麹町になった。
お母さんは、薄情だった。
お母さんには、障害者の二人の兄弟がいた。
その面倒を、妹夫婦(佐野さんにとっては叔母)に任せていた。
なのに、たまに叔母さんの家を訪ねたときも、
夕食の時、家中が茶の間に集まる。すると母が叔母に
「ねえこの人達どこかやって。もうごはんがまずくなる」と云った。
「この人達」とは、「知恵遅れの兄弟」のこと。ひどすぎる。
だから、佐野さんは、母さんを老人ホームに捨てた。
老人ホームでお母さんの痴呆が進む。
母さんはすっかり、従順で優しい老女になってしまった。
その痴呆が、ふたりの関係を変える。
いつしか、佐野さんは、お母さんの布団に添い寝をするようになった。
からだにも触れるようになった。
うすべったくなった手は骨に皮がひっついて、
さすると皮が自由自在に移動するが、移動する皮というより
しわが自在にどこへでも行く。
佐野さんは、終戦の時、大連にいた。その時の記憶もよみがえる。
兄も弟も赤ん坊も、死んだタダシも皆んな母さんのふとんに入りたがった。
ふとんの足もとから母さんの股の中に入ったのはだれだっただろう。
あの頃の母さんは本当にふつうの母さんらしい母さんだった。
そして、佐野さんは、痴呆の母さんと会話も楽しめるようになる。
「母さん私はもう六十だよ、おばあさんになっちゃたんだよ」
「マアかわいそうに、誰がしてしまったのかねェ」
母さんもふつうの母さんであり、
ふつう以上にいいところのあった女性でもあった。
その母さんを、こんなに嫌った理由は、
家族とは、非常な集団である。
他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。
でも、おお、うるわしい家族愛の大円団か、と気を許してはいけない。
佐野さんは、お母さんに寄り添えるようになると、自分を突き放す。
ああ、世の中にないものはない。
ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。
少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。
私は、自分が母親に対して気がふれているという事を、
自分で始末できなかったのだ。ずーっと、ずーっと。
わたしは、自分のことを思う。
親は、子どもを持って親になっていくが、
子どもは、親を亡くしてから子どもになっていく。
親の束縛や義務がなくなってから、安心して親のことを考えるのだ。
それまでは、親のことなど考えていない。
自分のことで精いっぱいだ。
だから、佐野さんの言葉が重い。
私も自分がどういう人か、わからない、多分一生わからない。
誰もわからない。





