「馬」 飴屋法水たち
脳の中の「馬」
閉館日の原美術館を使ったイベント「BLANK MUSEUM」に行ってきた。
芝生で覆われた、気持ちのいい中庭の全面と、館内のいくつかの部屋を使って、
ダンスや音楽など多様なジャンルの人達が、それぞれのパフォーマンスをみせる。
僕のめあては、「飴屋法水たち」。
彼らの演目は、日が暮れたあと、18:30ごろに始まった。
芝生の上にテーブルを置き、そこで男が食事をとっているシーンからはじまる。
別の男が脇から出てきて言う。
「芝生が、燃えます
机が、燃えます
テーブルが、燃えます
家が、燃えます」
(※記憶に基づいているので、正確ではありません)
燃えたものしか、憶えていない。
なくなってはじめて、記憶に残る。
そんな趣旨の話をする。
その後の展開は、正直言って難解だ。
後でいろいろ調べたが、小島信夫の短編『馬』から引用したテクストを、
何人かが交互に読む形でパフォーマンスが続く。
『馬』は、簡単にいうと、身勝手な妻に言いくるめられ、
勝手に家の増築をさせられ、最後にはそこに馬を住まわせるハメになる男の話だ。
かなり不条理なストーリー。
これを飴屋は「記憶」というキーワードで切り取ってみせる。
語る主体をくるくると変えながら、芝生の庭の向こう側から、
あるいは建物の屋上から、男に向かって浴びせかけられる、妻の懐柔と脅しの言葉。
後ろから前から、ランダムに聞こえてくる言葉たち。僕はまるで男の脳の中にいるようだ。
やがて、誰が、何を、いつしゃべっているのかは判然としなくなる。
もしかしたら、人の頭の中で、情報はこのようにぐちゃぐちゃに重なっているのかもしれない。
今見えている風景、聞こえている音が、男の脳の中だとすれば、
「燃える」ことは、「記憶を再生する」ことだろうか。
神経細胞は、情報を伝達するときに「燃える」のだったろうか。
「燃える」ことで、ぐちゃぐちゃの脳の中で、
ある情報に焦点が集まり、その瞬間、記憶が再構成されるのだろうか。
つまり記憶は、その時その場で常に新しく生み出され続けるのだろう。
そんなことを考えた。
脳の中にも海馬という「馬」があって、その馬は、記憶を司っているらしい。
これも劇中で誰かが言っていたことだ。
紹介演劇データ
- タイトル:「馬」
- 劇団:飴屋法水たち
- 構成・演出:飴屋法水
- 公演日:2010年8月
- 劇場:原美術館(品川)





