ギャルゲーのために、フォントを作った男 vol.3
「エロゲー」じゃない。コミュニケーションゲームだ
今僕の手元には、国会図書館で手に入れた、「パソコン美少女ゲーム歴史大全1982-2000」(ぶんか社)のコピーがある。その名の通り、日本の美少女ゲームの20年近い歴史を振り返る一冊だ。
この本では、1982年から1990年までを「美少女ゲーム黎明期」としている。「黎明期」を代表する作品として、7本のゲームをあげているが、その中に「TOKYOナンパストリート」が入っている。「当時は非常に画期的だった」「史上初のナンパゲーム」であることが特色だ、と紹介記事は伝える。おそらくこれが「TOKYOナンパストリート」が選ばれた理由なのだろう。
しかし、僕は正直この本に「TOKYOナンパストリート」が選ばれることに違和感を覚える。それはこの時期を代表する作品として取り上げられている他の作品と「TOKYOナンパストリート」との間には、埋めがたい違いがあるように思うからだ。
例えば1985年に発売された「天使たちの午後」。8色しか使えないという当時のパソコンの制約を全く感じさせない美しいグラフィックで大変な人気を集めた。ストーリーは基本的に一本道。プレイヤーは、あらかじめ決められた「正解」を探し、コマンドを打ち込みながら、漫画のようなストーリーをパソコンで追体験していく。
「TOKYOナンパストリート」は全く違う。ストーリーはない。プレイヤーのすることといえば、いろんな街で、いろんな女の子をナンパすること。主人公の行動に「正解」や「不正解」はない。とった行動に対応して、女の子の会話や行動が変わっていくだけだ。「エロゲー」であれば最も力を入れるであろうエロ描写は、当時のゲームとしてもとても控えめだ。
「男子の夢」をストーリー仕立てで追体験させ、ところどころにエッチな絵を挟み込んでいく「天使たちとの午後」的なアドベンチャーゲームが当時の「エロゲー」では普通だった。しかし「TOKYOナンパストリート」は違う。ストーリーやその結果としての「エロ」ではなく、「ナンパ」の過程そのものがゲームの目的だ。その違いはそのまま「TOKYOナンパストリート」を「美少女ゲーム」あるいは「エロゲー」として括ってしまっていいのか、という疑いにつながる。
「エロゲーじゃないのよ、だから。当時も今もそんなつもりはない。特別な女が登場してきて、特別なストーリーを展開する、とかいうのじゃなくて、プレーヤーが、例えば自分の彼女や仲良くなりたい女の子を性格付けしてゲームに入力するとナンパの練習ができるとか、そんな遊び方が楽しいって、オレは思ったから」
と関野さんは語る。「TOKYOナンパストリート」のパッケージには、「女性心理学の観点から女性の微妙な反応をゲーム化した人工知能型恋愛シミュレーション」と書いてある。
「人工知能云々はちょっとアレ(笑)だけど、ほんとにシミュレーションなのよ。本物のお姉ちゃんの設定を入れると、パソコンの中で本物と同じになんとかできるんじゃないか。そこから発想してるから」(関野さん)
「エロ」を楽しむのではなく、「コミュニケーション」を楽しむ。「TOKYOナンパストリート」のコンセプトはそのまま、コミュニケーションのあらわれである言葉と、言葉をパソコンで表現するためのインターフェースであるフォントに対する関野さんのこだわりに、リンクしている。
次回、ゲーム史における「TOKYOナンパストリート」の位置づけの話を、もう少し続けたい。




